負け犬のシン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想
皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はウマ娘の因子ガチャと、タペストリー付きのメロンブックス限定ゼロスが買えなかった事と、いまだにヨドバシが店頭でPS5を売ってることに切れたりしています。
で表題の通り、見てまいりました、エヴァとりあえずネタバレなしでざっくりした感想を言うと。
とにかく終わった。看板に偽りなく”さらば、すべてのエヴァンゲリオン。”という内容であった。
人生の道中で一度でもエヴァに引っかかった人間は見に行くとよいのではないでしょうか?どう受け取るかはその人次第だとは思いますが。
ちなみには私は、初めは寂しい悲しいと思い。見た人と話しながら考えてだんだんは腹がたってきて、いろいろ調べてやっぱりこの作品ダメじゃね?と思った口です。
では以下からネタバレありの感想会を始めさせていただきたく思います。
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まずこの作品については前提としてこれはエヴァというかもう庵野監督の私小説部分が多重に入り込んでおり、これ単体でエヴァの物語として評価するのは無理でしょ。という立場をとらせていただきます。
仮にこの作品を多私小説部分なしで評価するとしたら、映像部分かとおもいますが、個人的には凄い良いカットがあったかと聞かれるとあんまり思い浮かばないですね。私小説部分に心を持っていかれすぎていたせいかもしれません。
さらに私小説部分についてふれ庵野監督個人に言及するため感想を語る人間のパーソナリティーもある程度開示しなければ意味がないと思いますので書きます。
・中学時代にエヴァに出会う。ま
・12-13年くらいの付き合い
・女性との交際経験なし
・現状、社会人
今回の人物の裏には下記人物がいると思います。
シンジ:庵野
マリ:安野モヨコ
レイ、アスカ:旧作の象徴
今回の作品私は下記のように受け止めました。
庵野監督「私、周りのみんなにやさしくされて幸せになりました!だから旧作全部おいていきます。みんな結婚して働こうぜ!」
私(初期)「よかったね庵野監督…」
私(後期)「いや、やっぱ腹立ってきてわ。というかそもそも劇場に来る人間の大部分は働いてるし、私は地位も名声も得ながらものたうち回って苦悩と苦痛を抱えている人間の心が見たくて来たんだ。結婚しました、お前も早く結婚しろよマウントとられに来たんとちゃうわ」
って思いました。
私見で過激なことを言えば、エヴァはもう何十年後に語られる作品でなくなった。凡作になった。と感じました。
島本和彦先生も「最終回でコケるのが名作の条件」って言ってますしね。ここまで綺麗に終わられると何も言うことはない。愚痴はいくらでも出てきますけど。
いろいろ謎は残ってますが個人的には式波と惣流の関係が気になるくらいで、他はまぁって思います。
まず初めの牧歌パート
あまりにも回りが優しい。今までのエヴァならシンジがやらかすと決まって周りが攻め立てたと記憶してるんですが今回はマジで優しい。
これはもう庵野監督自身の環境と周りの人の扱いの変化があったからだ。以外に私は受け取れなかった。
要は、ガイナックスの周りの人たちがヤバかった。でガイナから離れてカラーとかその他もろもろの周りの人々は才能ある庵野監督に十全に優しかったのだろうなぁと受け止めました。
具体的に言うとシンゴジラとかシンウルトラマンとか風立ちぬとか
あとシンジが「どうして僕にやさしくするんだ!」って叫んで
レイが「みんな碇君が好きだから」
っていうくだり俺は嫌いですね。
まぁ完全にひがみ根性です。そりゃ才能ある庵野監督にはみんな優しいっすよって思ってしまった。あまりにもねじ曲がった見方かと思いますが。
というかあんだけ閉じた環境で、医者とメカニックなんかに目をかけてもらう、いきなり現れた子供なんかジジババから嫌われますよね?いろいろ流布されますよね?(偏見)
私は閉じた物資の少ないコミュニティーというのは現代のコミュニティー以上に余剰が少なくて、外部の者を嫌うし恐れるし、ドロドロしてるって価値観なので、なんか黒波のふれあいパートは美しいなと思う反面なんかノリきれなかったですね・・・
なぜ???
戦う決意をする場面なんですがここの感情の動きが一番知りたいのに一番わからなかった。
なぜだ、村人との触れ合いのおかげなのか、マジでわからん。
ミサトの心情吐露も、いまさら吐露するんならQの時にもうちょい説明してもよかったんとちゃう?って思いました。違うの?Qの言い方の感情のノリ方とかおかしいやん?
最終決戦でゲンドウと対話もするわけですが、旧含めて今までかたくなに対話をお互いに拒否してたのにケンスケに一言、言われただけでシンジは歩み寄りを見せるし、親父もなんか知らんがめっちゃ自分語りしてくれるし、これもうメタ的に風立ちぬでガチの上下で絵の話するクリエーターとしてではない宮崎駿監督と接してなんかいろいろ分かったのかな?と勘繰りたくなりました。
総じてシンジの覚悟完了後は、いろいろ意味不明な新単語こそ出てきますが、登場人物たちが終わりに向かって全部感情を吐露しながら進んで行っていたと思います。
母が出てきました。
なんで?
なんというかシンジを助ける(幸せにする)ためだけに出張ってきた感がすごいの
もしかした何かしら深遠な理由があって手のひらドリルできるかもしれないけど
せっかく父と話し、父を超え父殺しを達成したのに、最終的に母に守られたっていのはどうなのという気持ちが…
少年は神話になるべきだったのでは…
男の自己犠牲論的な作話も、クソほど陳腐でありふれているので、まぁどっちにしろ微妙という考えもできますが…
あと思うのは式波の処理の仕方も、なんというかシンジが「多分好きだった」と返答するのもきれいに終わらせるために言ったみたいに俺は思えたんすよねー。新のシンジ君式波のこと好きだったかなー、どうかなー
まぁ総じて庵野監督が幸せになったはわかるが、なんかそれに合わせて回りとキャラが動いたようにみえてなんだかなーと思いました。
私はエヴァやまごころに、才能も立場もある人間でも、私のような非モテと同じように人と分かりあいた分かり合えない、うわぁーーって、のたうち回って苦しんでるという事を見てパワーをもらっていたのかなぁと思いました。
庵野監督はだいぶモテる方だそうですが、まごころまででは苦悩と苦悶で目立たなかったそういう嫌味が今回は前面に感じたなぁ
あくまで私はですよ。
あとなんか、ここ何十年でオタクや漫画、アニメの定義も評価もだいぶ変わったのに、いまだに昔の評価で作られてる気がするなぁとかね。
私はギリ、深夜アニメやマイナー漫画を読んでるなんてことはひた隠しにするべきだ。って意識が残ってた世代だと思ううのですが、4年下の弟なんかはその意識薄いように見えますし。
みんな必死に現実を生きてると思いますけどね…
最後に有名なトルストイの引用で締めたいと思います。
まぁ読んだことないんですけど
”幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。”
今回は幸福な大団円に向けて収斂する過程で語られた様々な感情が思った以上に普通な上に覚悟完了の感情の動きを私がうまくキャッチできなかったからこそ、凡作と感じたのかなぁと思います。
3/19追記
結婚自身は2002年かー
ガイナックスと縁が切れたのが一番大きいのかなぁ
とにかく終わりありきでキャラが動いているようにみえた、マリとくっつく動機が表現されていないとか、なんだかなぁ
今回文句言ってる方が異常者っぽいのが悲しいやらなんやら